2022年8月30日、正午
無事、第二子である男の子が生まれました。
しかし、まぁ大変でした。
ぶっちゃけ生まれてからも大変だったんですが……。
第一子の事も、覚えているようで
全然覚えていなかったので、備忘録的にブログにしておこうと思います。
「8月末に出産かー。あっという間だったね」
なんて、呑気に過ごしていた7月。
一度、このままだとあぶないかも…
絶対安静でいてください!
と、脅されていたもののそれを乗り切れた事もあり、
嫁は8月前半もそこそこに仕事をいれていた。
そして、8月頭には幼稚園の夏季保育もあり、
それもなんとか乗り越えて、あとはいよいよ出産を待つばかり……
でも、いざ8月末となるとそれはそれで遠く感じていた8月の頭。
「帰りにグミ買ってくるね」
と家を出た嫁。
検診のあとに、思い切りご飯を1人で食べてくる為に朝軽め、昼を抜いて
検診に行った嫁でした。
診察してもらうとどうやら雲行きが怪しい……
LINEで都度都度、連絡がくるのですが、
どうにもこうにも空気がおかしい、数値もおかしい。
最初は、引き続き気をつけてくださいってなり、
追加で一週間後にまた検査しましょうと予定が変わりそうな感じになり、
再度、お腹の張りを測定して……
結果、
切迫早産の診断。
万が一に備えて、新たな病院を探すとの事。
お世話になっていた病院では、
その万が一の時の備えがないのだそう。
定期検診で、終わったらご飯食べてきてねー
なんて言っていたのに、まさかの緊急搬送。まさかの救急車。
ムスメ様と二人で自宅にいましたが、
ムスメ様は病院に連れていけない。
すぐ実家に連絡して、母にきてもらうことに。
最初は、預けようと思ってたけど
ムスメ様がどうしても家から出ようとせず。
そんな中、外から聴こえるサイレン。
経路的に自宅の前を通るはずだから
きっと嫁が乗っていた。
とりあえず準備するものはなく、
そのまま病院へきてくださいと
嫁を診てくれた先生からの連絡。
母が到着して、任せて出発しようとするも
足元から離れないムスメ様。
何かしら不穏な空気を感じていたのかも。
なんとか任せて転院先の病院へ。
静かな手術室へ案内されるとそこには涙ぐむ嫁の姿が。
運ばれた場所はTHE手術室で不安も凄かったろうし、
きっと説明を聞いていて辛かったんだと思います。
俺も一緒に話を聞くと
とりあえず今日手術、出産という事はありません、との事。
とはいえ、これからとにかく最低2週間は絶対安静。
すなわち入院をするということ。
そして、色んな可能性の話を伺いました。
このままこちらの病院で出産の場合。
まず嫁が望んでいた出産立ち会いはこちらの病院では原則出来ない事。
緊急手術による出産の場合は、連絡より先に手術の場合があることや
父親である自分は生まれた子供と数分会うことは出来るけど、
退院まで嫁に会うことは出来ない事。
このまま2週間安静にしていて、容態が安定していれば
転院(元の病院に戻る、出産)が可能。
もしくは一時退院も可能との事。
コロナ禍という事もあって、
なかなか色々難しいのだという。
この時点で聞かされたのはこのくらいだったかな。
基本、面会は子供はおろか自分も出来ないという事で
この説明を聞いて、部屋を出たら
いつまで嫁と会えないかも未知数という。
荷物の受け渡しは看護師さんを通じて。
何も持たずに来たので、
一旦自宅へ戻り、荷物を用意しないといけないので、
書類等にサインをして、説明をあらかた聞いたら退室。
急いで自宅に戻り、言われたモノと必要じゃないかな?と思うモノを
カバンに詰め込む。
勝手が掴めない嫁の部屋の荷物を。
荷物に関しては何度持っていっても平気だったので、
とりあえず最低限より少し多めに荷物を準備して、
再度、病院へ。
さっききた時と何が違うのか……
俺には、正直よくわからないけど
言われた通り、もう嫁に会う事はできなかった。
テレビ電話できるしね、なんて先生に言われて
少しほっとしていたのに、
大部屋なので、自由にテレビ電話なんて出来ないそう……
なんだよ、話違うじゃん……
色々、感情ぐちゃぐちゃな中帰宅。
遅くなってしまったし、夕飯の準備なんてできなかったので
頑張ってムスメ様にご褒美も兼ねて、マックをテイクアウト。
夜は、
「まだ、びょういんにいるの?」
「いつかえってくるの?」とムスメ様はずっと
嫁がいないことを気にかけていた。
「ちんたん(俺のこと)とはねない」
「あんみちゃん(嫁のこと)とねる」
としばらく言っていたけど
23時頃、さすがに疲れて就寝。
俺も、そのまま寝てしまい
1時半とかに目が覚めた。
嫁も同様、眠れなかったみたいで
3時くらいまではLINEしてました。
初日は、なんとか夜を越えたわけでしたが
ここからの二人暮らしはなかなかハードなモノでした……。
続く